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9月21日 マタイによる福音書18章1~9節

イエス様は、律法に対して、安息日に病人を癒されたり、麦の穂をつむことを許されたり、律法に対して自由にふるまわれました。それは、ファリサイ派や律法学者などの厳格は者たちからは、イエス様は律法に従わない者として映りました。ところが、イエス様は一方で大変厳しいことを仰います。それは五体満足でなくても、必要なものが全てそろって神を見失うよりは、大切なものを欠いてでも、神に近づく方がよいと仰るのです。「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」(マタ5:20)(大矢)

9月21日 マタイによる福音書18章1~9節

イエス様は、律法に対して、安息日に病人を癒されたり、麦の穂をつむことを許されたり、律法に対して自由にふるまわれました。それは、ファリサイ派や律法学者などの厳格は者たちからは、イエス様は律法に従わない者として映りました。ところが、イエス様は一方で大変厳しいことを仰います。それは五体満足でなくても、必要なものが全てそろって神を見失うよりは、大切なものを欠いてでも、神に近づく方がよいと仰るのです。「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」(マタ5:20)(大矢)

マタイ福音書17章24~27節

 イエス様の時代、神殿はユダヤ教の一つの象徴でした。ヘロデの再建したエルサレム神殿は壮麗で、ソロモン神殿の二倍の大きさがありました。人々はこぞって礼拝し、献げ物を持ってきました。ところが神殿は、紀元70年、跡形もなくローマによって破壊されてしまいます。イエス様は、神殿税を魚の口からお納めになりましたが、それは人々につまずきを与えないためで、本当は払う必要がない考えの発言をしています。使徒パウロは、「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり」(一コリ6:19)キリストを信じる者の体が聖なる神殿であると告げます。(大矢)

「イエスの変貌」マタイ福音書17章1~13節

2008年8月31日

神様を信じるということは容易なことではありません。それは時に苦しみであり、悲しみであるかもしれません。しかし、苦しみながらも信じ続けるところに、旧約の神から、イエス・キリストの復活の神として伝えられた聖書の歴史があります。「福音」とは喜びの訪れであることは間違いありません。ですが、手放しで喜ぶことはできない、生涯を通して神様に従う「服従」が伴います。服従を選び取る勇気と真剣さが大切です。しかし、その信仰すら神様が与えて、支えて下さいます。